聴きたい音だけを聴かせてくれるヘッドホンがあったら

そんなことを思ったことがある

小さな音を聴き逃すまいと耳に手を添えるように

どんな遠くの音も拾ってくれて

騒がしい音からは心を守るように

そっと耳を覆ってくれる


眠れない夜には

眠りを誘う音をくれる


子守歌なら起伏の少ないメロディーで

語るような歌い方のものを


誰かの話し声なら

くすくすと笑える他愛もない話を落ち着いた声で

ぼそぼそと

何を言っているのかわからないくらいの

だからといって不快な声ではなく

心地よい

いつもそこにあるような

変わらぬ声で

時には、その日の気分にあわせ

男性になったり女性になったり


何も聴きたくないときは

冷蔵庫のモーター音が

夜の海を行く船の遠いエンジン音に
聴こえるくらいの静寂をくれる


こちらの願いを言い当てるみたいに

私の内側で鳴っている機械仕掛けの時計を

やわらかいフェルトで包んでくれる


夜空の星みたいにならんだ洗濯バサミが

風もないのに小さく軋んで

ときどき遠くの電車の音が

ゆっくりと心音に並走する


するとまた誰かの息をひそめた笑い声が落ちる

「たいした話じゃないよ」と前置きして

ホントにたいしたことのない話をする

名前も思い出せない駅のベンチや

ミルクを飲みほしたマグカップの底


夜の猫が皆灰色なら

夜の海も空もきっとミッドナイトブルー


耳のそばで言葉はほどけて

ただの音になり

音はさらにほどけて

まぶたの重さになる

私の背中は布団の中で

小さな湾になる


眠りが来ない夜もあるかもしれない

それでも

このヘッドホンは

暗い部屋の真ん中に

米粒ほどの灯りを置いていく

朝が遅れても大丈夫だよ、と


ヘッドホンを外すとき

耳に残るわずかな温かさが

今日という日の最初の音になる