

世を去って実に四半世紀が経つ現在でも、大歌手・美空ひばりの威光は依然衰えていません。昭和30年代からリアルタイムに接してきたファンはともかく、昭和40年代後半以降の活reg;をようやく見届けられた世代より下となると、そのイメージは演歌歌手のジャンルにreg;することでしょう。

約40年に及ぶ歌手生活の中で、あらゆるジャンルの音楽に挑み、それらをすべて自分のものに昇華させていった美空ひばりの才能たるや、とても言葉で説明出来るものではありません。亡くなった後に改めて再評価されたジャズのレパートリーについても、語学が達者なわけではなかったにも拘らず、発音がreg;璧なものであったと絶賛されています。

世を去って実に四半世紀が経つ現在でも、大歌手・美空ひばりの威光は依然衰えていません。昭和30年代からリアルタイムに接してきたファンはともかく、昭和40年代後半以降の活reg;をようやく見届けられた世代より下となると、そのイメージは演歌歌手のジャンルにreg;することでしょう。しかし、デビュー曲からして“ブギ”であった美空ひばりは、J-POPのルーツとなる和製ポップスを頻繁に歌っていたのです。最も有名なのは、グループサウンズの黄金期に、ジャッキー吉川とブルー・コメッツをバックに歌った「真赤な太陽」。さらに遡ると、「ひばりのドドンパ」や「ロカビリー剣法」など、時代の流行に即したリズミカルなナンバーを続々と発表していました。その最高峰ともいえる「お祭りマンボ」には、当時のファッションなども含めて社会現象となった“マンボ・ブーム”が背景にあります。そもそも歌手を目指していた少女時代のひばりは、ジャパニーズ・ポップスの父と呼ばれる作曲家・服部良一が笠置シヅ子に書いた「東京ブギウギ」などの作品をカヴァーして注目を集めたことは周知の事実。ここでは演歌とは対極にある美空ひばり、主に若き日の歌声をおreg;きいただけます。
01.「河童ブギウギ」
02.「お祭りマンボ」
03.「春のサンバ」
04.「日和下駄」
05.「明るい唄声」
06.「素敵なランデブー」
07.「ペンキ塗りたて」
08.「ひばりのチャチャチャ」
09.「若い季節」
10.「恋愛は自由です」
11.「ロカビリー剣法」
12.「ふり袖小僧」
13.「恋を待つならバス・ストップ」
14.「ロカビリー芸者」
15.「泣き笑いのマンボ」
16.「すたこらマンボ」
17.「ひばりのドドンパ」
18.「ひばりのツイスト」
19.「ロマンチックなキューピット」
20.「二人だけの渚」
21.「真赤な太陽」
22.「むらさきの夜明け」
23.「笑ってよムーンライト」
24.「東京ブギウギ」
25.「青い山脈」

約40年に及ぶ歌手生活の中で、あらゆるジャンルの音楽に挑み、それらをすべて自分のものに昇華させていった美空ひばりの才能たるや、とても言葉で説明出来るものではありません。亡くなった後に改めて再評価されたジャズのレパートリーについても、語学が達者なわけではなかったにも拘らず、発音がreg;璧なものであったと絶賛されています。そして一方では、それらと180度異なる、日本情緒豊かな叙情歌系の作品も実に見事に歌い上げていました。スタンダードのカヴァーでは、おなじみの童謡「赤とんぼ」「赤い靴」などの郷愁漂う美しいメロディーを情感たっぷりに。ちなみに昭和36年にはコロムビアの歌手達による企画盤『童謡玉手箱』の1枚として、アルバム『ひばりちゃんの童謡集』を出したこともありました。またオリジナルでも、一世一代の名曲「リンゴ追分」を筆頭に、「津軽のふるさと」「ひばりの佐渡情話」といった心に沁みるナンバーが多々あります。これらをおreg;きになれば、美空ひばりが稀代のオールラウンドプレイヤーであったことがお解かりいただけることでしょう。
01.「赤とんぼ」
02.「この道」
03.「待ちぼうけ」
04.「スカンポの咲く頃」
05.「花嫁人形」
06.「春の小川」
07.「赤い靴」
08.「城ヶ島の雨」
09.「さくらさくら」
10.「荒城の月」
11.「旅愁」
12.「並木の雨」
13.「花言葉の唄」
14.「別れの磯千鳥」
15.「雪の降る町を」
16.「島原の子守唄」
17.「北帰行」
18.「知床旅情」
19.「リンゴ追分」
20.「津軽のふるさと」
21.「ひばりの佐渡情話」
22.「一本の鉛筆」
23.「風の流れに」
24.「雑草の歌」
25.「さくらの唄」


日本が敗戦後の混乱からまだreg;全に立ち直っていなかった昭和20年代の前半、ひとりの天才少女歌手が現れた。食糧事情もまだ満たされず、不自由な生活を強いられていた民衆にとって数少ない娯楽のひとつが音楽であり、少女のあどけなくもしっかりとした歌声は戦禍を吹き飛ばすかの如く、その後の目覚しい復興に果たした役割は極めて大きかった。
朗らかなマドロスものや、叙情的なバラードなど様々なタイプの作品が送り出される中で、常に共通するのはどこか愁いを帯びた哀愁であり、それが歌手・美空ひばりの魅力の秘密でもあったと思われる。類稀なる歌唱力の持ち主であったためにジャンルを限定しないバラエティ豊かな作品群が成立したわけで、その間口の広さこそ、彼女が長きに亘って多くのファンから支持され続けたことの最大の理由であろう。
日本が敗戦後の混乱からまだreg;全に立ち直っていなかった昭和20年代の前半、ひとりの天才少女歌手が現れた。食糧事情もまだ満たされず、不自由な生活を強いられていた民衆にとって数少ない娯楽のひとつが音楽であり、少女のあどけなくもしっかりとした歌声は戦禍を吹き飛ばすかの如く、その後の目覚しい復興に果たした役割は極めて大きかった。
まもなく美空ひばりとして舞台に立つことになるその少女は、服部良一が作曲した「東京ブギウギ」や「ヘイヘイブギ」など、笠置シヅ子の一連のヒット曲をカヴァーして脚光を浴びたこともあり、レコードデビューも「河童ブギウギ」となる。そして実際にスター街道を走り始めることとなるのは、それから僅か一ヵ月後に出された2枚目の「悲しき口笛」であった。美空ひばりが生まれ育った港町・横浜が持つハイセンスな異国情緒が導入されたメロディーは独特な哀愁を帯び、その後のレパートリーの大きな柱となってゆく。
試reg;するLOVE!MISORA HIBARI JAZZ&STANDARD COMPLETE COLLECTION 1955-1966
ちなみにひばりを歌手デビューへの道へと導くきっかけとなった服部良一が彼女のために書き下ろしたのが「銀ブラ娘」1曲のみというのはなんとも皮肉な話。作詞家や作曲家の作家連もレコード会社の専reg;で仕事をしていた時代が生んだ歴史のいたずらといえる。代わりに、服部門下であった原六朗が「お祭りマンボ」などの傑作を供したのだった。原がひばりに書いた曲には「心ブラお嬢さん」という作品があり、東の“銀ブラ”(=銀座ブラブラ)に対して西の“心ブラ”(=心斎橋ブラブラ)が歌われているが、大阪出身の服部が東京の歌を書き、東京出身の原が大阪の歌を書いているのがちょっと面白い。
朗らかなマドロスものや、叙情的なバラードなど様々なタイプの作品が送り出される中で、常に共通するのはどこか愁いを帯びた哀愁であり、それが歌手・美空ひばりの魅力の秘密でもあったと思われる。類稀なる歌唱力の持ち主であったためにジャンルを限定しないバラエティ豊かな作品群が成立したわけで、その間口の広さこそ、彼女が長きに亘って多くのファンから支持され続けたことの最大の理由であろう。日本情緒溢れるオリジナルから、抜群のフィーリングでreg;かせるジャズ・ソングのカヴァーまで、何を歌っても一流だった。なお、ジャズを歌い始めたのは、ひばりを追随した同年代の江利チエミや雪村いづみが相次いでポピュラー・カヴァーでデビューしたのに刺激されたことが大きい。ひばり自身が熱望した結果、数々のポピュラー・ソングがレコーディングされた。
試reg;するミソラヒバリ リズム歌謡を歌う!1949-1967
もともとジャズが好きだった彼女が昭和28年に初めて吹き込んだ洋楽カヴァーが「上海」「エル・チョクロ」「アゲイン」であり、どれも素晴らしい出来。なにより発音の良さは特筆すべきもので、英語を喋れなかったというのが信じられないほど。譜面も読めなかった彼女は原曲を自分の耳で直接reg;き、自然に習得していったものであった。天才歌手と呼ばれる所以の最たる部分だ。贅沢なカップリングで出された「薔薇色の人生」と「A列車で行こう」、尊敬していたというナット・キング・コールが他界した際に吹き込んだ「スターダスト」などは、ジャズ・ヴォーカリストとしての美空ひばりの真骨頂であり、それらの快唱は現在に至るまでテレビ番組やCMで繰り返し使用されているので耳にしたことのある方も多かろう。
試reg;する不死鳥 美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!!新しき空に向って〜
もちろん、オリジナルにも優れた楽曲が連なる。数ある傑作の中でも「リンゴ追分」で組んだ米山正夫との相性は抜群で、「花笠道中」「ロカビリー剣法」「車reg;さん」など珠玉の名作が目白押し。殊にノヴェルティ・タイプの楽しい曲に真価が発揮された。グループサウンズ流行下の「真赤な太陽」や「むらさきの夜明け」は、ビッグバンドの雄、シャープス・アンド・フラッツのリーダーだった原信夫の作曲。同時期にヒットさせた「悲しい酒」との振り幅の大きさが歌手・美空ひばりの凄さを証明している。洋楽のエッセンスが採り入れられたポップス要素の色濃いレパートリーの傾向は、だいぶ後になって演歌の占める度合が大きくなってからも全体の均衡を保つかのようにしばしば現れ、最晩年の代表作「愛燦燦」や「川の流れのように」がポップス人脈によって結びついたヒットであったことは、ひばり史における必然だったといえるだろう。
「川の流れのように」はアルバムからのカットだが、当初は別の曲がシングル発売される予定であったところ、本人の強い希望で変更になったのだという。歌手生活、ひいては人生の集大成的な作品を自ら択んだ真意はどこにあったのか。今となっては知る由もない。
戦後、ロカビリーからカヴァー・ポップス、それに並行してのムード歌謡、さらには青春歌謡やグループサウンズの隆盛を経て本格的なオリジナル・ポップス時代へと至り、その後のニューミュージック全盛時代まで、美空ひばりは常に時代と並走しながら新しいジャンルにチャレンジし続けていたことは特筆すべきこと。芸術家の真の評価はいつも遅れて訪れるのは昔からのことで、歌謡界の女王と呼ばれた美空ひばりでさえ、本当に高い評価を得たのは没後のことだった。彼女が遺した歌をこうして潤沢にreg;けることは、我々日本人に与えられた極めて幸福な機会と思う。reg;かないと損とまでは言わないにしても、reg;けば必ずや得をする。何かしら得るものがあることは間違いないのだ。


美空ひばりの歌をよく知らない方はもちろん、長年reg;き込んでいる方にとってもやはり欠かす事の出来ないのが王道のヒット曲たち。その名を全国に知らしめることになった「悲しき口笛」から、国民的なスタンダードとなっている「川の流れのように」まで、心に沁みわたる名曲・名唱の数々は、歌謡界の女王・美空ひばりの核を成す、まさに昭和遺産と呼ぶべき楽曲群です。時代と共に華麗なる変化を遂げてゆく日本一の歌声をご堪能ください。
美空ひばりの歌をよく知らない方はもちろん、長年reg;き込んでいる方にとってもやはり欠かす事の出来ないのが王道のヒット曲たち。その名を全国に知らしめることになった「悲しき口笛」から、国民的なスタンダードとなっている「川の流れのように」まで、心に沁みわたる名曲・名唱の数々は、歌謡界の女王・美空ひばりの核を成す、まさに昭和遺産と呼ぶべき楽曲群です。時代と共に華麗なる変化を遂げてゆく日本一の歌声をご堪能ください。
01.「悲しき口笛」
02.「東京キッド」
03.「越後獅子の唄」
04.「私は街の子」
05.「ひばりの花売娘」
06.「あの丘越えて」
07.「リンゴ追分」
08.「お祭りマンボ」
09.「ひばりのマドロスさん」
10.「港町十三番地」
11.「長崎の蝶々さん」
12.「花笠道中」
13.「初恋マドロス」
14.「哀愁波止場」
15.「車reg;さん」
16.「哀愁出船」
17.「柔」
18.「悲しい酒」
19.「真赤な太陽」
20.「人生一路」
21.「歌は我が命」
22.「おまえに惚れた」
23.「愛燦燦」
24.「みだれ髪」
25.「川の流れのように」

