没入感に誘うリアルな「音」をつくる\

Chamber 39
2019.10.13

没入感に誘うリアルな「音」をつくる

私たちが映像作品の中で耳にする“音”。ストーリーの完成度に大きな役割を果たしており、音づくりには多大な労力がかけられていると言います。それはテーマ音楽やBGMに限った話ではなく、波の音や登場人物の足音など、私たちが普段の生活でよく耳にしているような音にもあてはまります。映像作品の完成度や没入感を高めるために、そのような“音”がどんな役割を果たしているのか、音響演出論の専門家である駿河台大学 メディア情報学部の大久保博樹教授にお話を伺いました。

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――映像作品において、“音”はどのような役割を果たしていると言えるのでしょうか。

「音はその作品の完成度を高める重要な要素です。たとえばかの有名な『スター・ウォーズ』。ジョージ・ルーカス監督がサウンドデザイナーに作品のイメージを伝える中で生まれたのが、ライトセーバーを振る際の“ブーン”という音。現実には存在しない音ですが、スター・ウォーズの世界観を完成させるうえで、あの効果音は大きなキーになっています」

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――確かに、作品の世界観を象徴するような音だと感じます。

「他にもクリストファー・ノーランが監督した『バットマン』シリーズも同様です。作中でバットマンが使うガジェットのひとつに、先端にフックのついたワイヤーが飛び出るものがあります。これを高いところに引っ掛けて移動するのですが、ワイヤーが“シュッ”と飛び出る音もサウンドデザイナーが手がけています。

サウンドデザイナーは、この効果音について『ワイヤーが飛び出る音に聞こえないとおかしいが、普通のワイヤーの音では最新ガジェットにふさわしくない。かといって、まったく別種の音を使うと視聴者が混乱する』と述べています。“音”で世界観を表現するというのは、それほど緻(ち)密なものなのです」

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――普通の音ではなく、新しい音で表現するということは難しいことなのですね。

「今までに聞いたことがない新しい音はもちろんですが、私たちが普段耳にしている音も、映像作品の中では一つひとつ、つくられています。たとえば“波の音”。映画で使われる波の音は、映像とは別に録音しており、しかも、本物の波の音は使わないことが多いです。“波ざる”という大きな箱に小豆や砂利を入れて振り、音を再現するなどの手法があります。

足音も同様です。あるラジオドラマでは、足音を録音する際、登場人物の足がかかとからついて足の裏、つま先へと接地するまでの流れを、数段階に分けて録り、それを映像に重ねていたといいます。加えて、性別や身長で音を変えることもあるようです。私が過去にお話を伺った音響効果技師・南二郎さんは、1足の革靴を利用して、さまざまな足音を生み出していました。もう亡くなられてしまったのですが、さまざまな音を生み出す数々の手法を、独力で蓄積されていましたね。何気ない音でも、職人的に作り込まれているのです。テレビの世界では、たった4秒程度の映像シーンでも、1時間近くかけて音をつくることもあるようです」

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――それにしても、なぜ撮影時に出る音を使用せず、別に録音して重ねるのでしょうか。

「もし映像と一緒に音を録音した場合、マイクはすべての音を平等に拾います。波の音、風の音、人や動物の声なども。室内なら、空調の風を拾ってしまうことも多い。特に映画では、音についての“引き算”と“誇張”を意識しています。2時間の中で聞こえる音一つひとつに、監督は意味を持たせています。一例を挙げると、『E.T.』の中で茂みに隠れた主人公たちを追っ手が探すシーンがあります。その際、追っ手の姿は映さず、追っ手が持つカギの“ジャラジャラ”という音だけを入れたというのです。金属音は不安や危険を想起するような音だからです。

つまり、音も演出に関わる大事な要素。そこに意味があるからこそ、観客に聴かせる音と聴かせない音を取捨選択しなければいけない。ある音が聞こえてしまうことで、視聴者がそこに過剰に意味を求めて、それが逆にストーリーへの没入を妨げてしまうことだって起こり得ますから。ときに聴かせたい音を誇張し、不要な音を削る必要もあるため、手間がかかっても音をあえて別録りする意義があるのです」

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――例えば、波の音など過去に録音したパターンをとっておいて、それを作品によって使い回すようなやり方は難しいのでしょうか。

「不可能ではありません。実際、波の音や雨音、足音、ガラスの割れる音など、さまざまな音をライブラリ化したデータが世界中で増えています。

しかし、一つひとつの音はストーリーごとに個別の意味を持つため、替えがききません。波の音と一口に言っても、満ち引きがどのくらいのスピードなのか、荒々しいのか穏やかなのか、サスペンスかコメディなのかでもまったく変わります。ライブラリの音を使おうとしても、ストーリーに上手くはまらないことだってあり得るし、自然の波から望むような音を録ることもなかなか難しい。結果、人の手で音を自在に調整できる“波ざる”のようなアナログな方法が求められることが多いのです。

人間の感覚として、音はビジュアルより分解能が高いとも言われます。映像が少しボケてもそこまで気にならないけど、音が少しでも途切れたり聞きづらかったりすると気になってしまいますよね。人間は、それほど音に敏感なのです」

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――だからこそ、手間がかかっても作品ごとに理想の音を追求する意味がある。

「そうですね。もし映像に音がはまらず浮いてしまえば、視聴者の没入感を妨げます。逆にぴったりはまると、それが普通の音以上の意味を持つ“効果音”となるわけです。

難しいのは、音響演出においては“誰も気にならないような音”をつくるのがひとつの理想であるということ。たとえば映画においては、作中の音が一切気にならず、観客がストーリーに自然とのめり込んでいるような形が理想とも言えます。

音響効果技師のノウハウ継承は大きな課題ですね。ある作品でどうやってその音をつくったのか、それは音響に携わる人のある意味“飯のタネ”でもあるので、他人にそのノウハウを共有することは業界の中でもほとんど省みられてこなかった。先ほどお話しした大ベテランの南さんでさえ『誰にもやり方を教わったことはない』と仰っていました。音響効果技師の数は少なくなってきて、そのノウハウが継承されていない。となると、今後はやはり音素材をライブラリで補う必要性がより高まっていくでしょう。世界中で膨大な音データが蓄積されていますが、ではいったい欲しい音をどのように探す(検索する)のか。メタデータの問題もあります。日本では犬の鳴き声を“ワンワン”と表現しますが、海外では“バウバウ”と言う。『こんな犬の鳴き声が欲しい』というリクエストを、どのように検索ワードに落とし込むかは、なかなか悩ましい問題でしょうね」

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――犬の鳴き声の音を探すのも難しさがあるのですね。

「最近研究されているのは、AIのボイスコンピューティングを活用した方法です。欲しい犬の鳴き声のイメージを、実際に人間が発声する。それをAIが分析して類似の素材を探し出すものです。

考えている方法として例えば、犬の鳴き声を探す際に、そのイメージに近い犬や周囲の状況の写真を選んで、もっとも合致しそうな音素材を提案するようなアルゴリズムの考案があります。しかし、いずれにしても、使用したい作品にぴったりはまる音がライブラリにあるかは、常に映像制作における課題としてあり続けるでしょう」

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――音にまつわる周辺機器の進化についてはどう感じていますか。

「もちろん、素晴らしい進化を遂げていると思います。“音の引き算”の話で行くと、今の機器はかなりの精度で録音素材から必要な音だけを残し、他の音を消去することもできますし、マイクの精度も向上し、解像度は相当上がっている。小さなピンが床に落ちるような繊細な音も、今後はもっと簡単に録れるかもしれません。演出として活用できる“音の選択肢”は間違いなく増えていくでしょう。

そうした中で、一つひとつのシーンに最適な音をどのように用意していくか。ライブラリを活用するのか、誰かの手によって音をつくるのか。映像メディアのさらなる発展のうえで、今後も考えていくべきテーマです」

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私たちが何気なく聞いていた、映像の中のさまざまな音。それらの一つひとつには意味があり、プロの手による緻(ち)密な計算と作業を経て、人をのめり込ませる作品になっていることが分かりました。映像メディアにおける「音」、そのつくり方やセレクト方法は、より没入感のある映像を生み出すうえで、これからも欠かせない要素になっていきそうです。また、こういった背景を意識したうえで作品を鑑賞してみると、違った一面を垣間みることができ、新たな気づきがあるかもしれません。

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大久保 博樹

駿河台大学 メディア情報学部 教授

専門は音響情報論、音響情報処理など。映像作品における音響がもたらす効果を軸に研究を行うかたわら、自身でも映像や音響のコンテンツ制作・提供も広く行っている。

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