株式会社小貫写真館
森藤 ヒサシ 氏

茨城県水戸市に本社スタジオを構える写真館、小貫写真館を営む写真家の森藤 ヒサシ 氏は、同写真館の跡取りとして1968年に生まれました。当初は一眼レフカメラを使用していましたが、ソニーのミラーレス一眼αシリーズの性能の高さに惚れ込み、一眼レフカメラからミラーレス一眼への移行を決意。αシリーズの導入によって、一眼レフカメラに対して抱いていた不満がどのように改善されたのか、撮影のクオリティやお客様へのサービスがどれほど向上したのか。森藤 ヒサシ 氏に伺いました。
小貫写真館の4代目として生まれてきた私にとって、「写真」は生活の一部であり、「プロの写真家になりたい」と、強く志すことはありませんでした。28歳で小貫写真館の跡を継いだ時にはプロとしての自覚はあまりなく、義務感のほうが強かったように思います。写真とともに生きていこう、と意識が変わったのは、36歳の時でした。ライフワークに関するセミナーに参加したのですが、私の中にあった「写真が好き」という思いに気づけました。以後、小貫写真館のビジネス拡大だけではなく、写真の価値向上や素晴らしさを伝えること、家族写真の文化を広めていくことなど、写真業界全体について考えるようになりました。

小貫写真館の事業を受け継いだ当時は一眼レフカメラを使用していましたが、一眼レフカメラは大きくて重いので、長時間の手持ち撮影では疲労感が出やすいうえ、持ち運びの面でも不満を感じていました。当社のスタッフからもそういった声が実際にあがっていました。その頃はミラーレス一眼の黎明期でしたが、ボディの軽さはもちろん、フォーカスも俊敏なソニーαシリーズは魅力的で、「買い替えたいな」と思っていました。とはいえ、カメラ機材一式をミラーレス一眼に切り替えるのは予算的に簡単ではありません。αシリーズに切り替える、一つのきっかけとなったのは、ドバイのロイヤルファミリーのオフィシャルフォトグラファーに選ばれたことですね。コンバーターを使い、1/400秒程度のシャッタースピードで手持ち撮影したのですが、手振れ補正の性能はミラーレス一眼のほうがはるかに上。シャッター音をミュートできるサイレントモードも非常に有効で、カメラに助けられた撮影となりました。
軽くてコンパクトな『α7R V』への切り替えは、当社スタッフの負担軽減に大きく寄与しました。自然光での撮影においてはバックモニターに表示される露出のまま撮影できますし、AF性能が高いのでピントを外さないようになることで、シャッター数が増え、お客様のいい表情を押さえられる確率もあがりました。撮影が格段に楽になりました。その結果、撮影をテンポアップでき、お客様1組当たりの撮影カットのバリエーションが増え、お客様の満足度向上につながりました。たとえば、以前ならすべてが同じような表情だったものが、『α7R V』の導入でテンポアップしたおかげで撮影カットのバリエーションが増え、さまざまな表情を撮れるようになると、お客様はより多くのバリエーションから気に入ったカットを選ぶことができるようになります。さらに言うと、チルト&バリアングル両対応のモニターも使い勝手がよく、身長がそれほど高くない当社スタッフがハイアングルで撮影する時などにも重宝しています。

一眼レフカメラから『α7R V』に切り替えたことで、お客様とのコミュニケーションにより一層集中できるようになったと感じています。カメラの性能を信頼しきれず、「大丈夫かな?」と、一回一回ピントチェックを行っているようでは、お客様とのコミュニケーションに意識が向かなくなってしまいます。『α7R V』の高いAF性能を信頼できるからこそ、コミュニケーションに集中できることでお客様のいい表情を引き出すことができ、サービス全体としての満足度を高めることができます。
写真の素晴らしさ、写真館の楽しさを世の中に広めていきたい、という軸足は今後も変わりません。1つのエリアに昔からあった写真館が一軒なくなってしまうことは、そのエリアの写真文化がなくなってしまうということだと思っています。写真館を一軒でも多く残していくためには、一人ひとりのお客様に楽しんでもらい、仕上がりに満足してもらい、「また撮ってもらいたい」と思っていただく必要があると考えています。『α7R V』を導入することで、日本全国の写真館、ひいては写真文化が発展していくと思っています。