ソニーイメージングギャラリー 銀座
濱本奏作品展 ギャラリートーク

2000年生まれ。人やものや土地が持つ「記憶」を主なテーマに、壊れたカメラを用いた撮影方法やミクストメディア的な手法を導入して制作をおこなう。
2025年、個人の出版レーベル「真珠出版」をスタート。
主な展示は「midday ghost」(OMOTESANDO ROCKET・STUDIO STAFF ONLY、2020年)、
2025年「ー・・」(横浜市民ギャラリー)。出版物は『midday ghost』(hito press、2020年)、『VANISHING POINT exhibition in liminal zone』(2022年)、2025年『ー・・』(真珠出版、2025年)がある。
2025年に濵本奏が立ち上げた出版レーベル。
真珠は、貝が小石や寄生虫などの異物から身を守るために分泌する、貝殻成分の層によって生まれる。この働きは、作家の営みに重ねることができる。外の世界との関わりや刺激によって、記憶や夢といった層が積み重なり、やがて作品として凝固する。ある人にとっては当たり前に起こるこの反応に価値を見いだし、本の出版や展示といったかたちで、再び世界に置き直すことを目標とするレーベル。
【選考委員のことばを全文掲載!】第50回木村伊兵衛写真賞は濵本奏氏が受賞
木村伊兵衛写真賞の濵本奏さん、80年前の横須賀の姿を今に繋ぐ
「現在と過去、そして未来までをも今の瞬間に」
「なぜ今、写真なのか?」第50回木村伊兵衛写真賞 選考会後の座談会
ー・・ 海底到着
聞こえますか
見えますか
そこから僕のあぶくは見えますか
夜の海に浮かぶ光は何に見えますか
第二次世界大戦終戦間近の夏、横須賀の野比海岸では特別な訓練が行われていた。
頭上を通過する敵の船に機雷を撃ち込むために、来る日も来る日も海に潜る少年たちがいた。
ゴム服に潜水兜を被り、背中に酸素瓶2本を背負い、腹に鉛のバンド、足には鉛を仕込んだワラジを履いた。
潜水服の総重量は68kgにも及んだ。
潜水服の腰に結びつけた命綱を引くことで、海面の小舟と連絡を行った。
野比海岸の波間には、真夏の強い日差しに照らされたいくつものブイが浮かんでいた。
海中での呼吸は、呼気に含まれる二酸化炭素を、苛性ソーダを利用した吸収缶で除去し、再び吸引する方式が用いられた。
この呼吸循環法は、海面に呼気のあぶくが浮かび上がることがないので、敵を迎え撃つのに好都合だった。
鼻から吸って口から吐く
鼻から吸って口から吐く
この呼吸法を3、4回でも誤ると、炭酸ガス中毒になり、死に直結した。
1945年8月1日午後10時
みなが寝静まる暗開の中、総員集合がかかった。
敵の船が沖から浜に向かってくるのだという。
「いよいよ出撃か」
少年たちは兵舎から浜辺へいっせいに飛び出し、出撃命令を待った。
どのくらい経ったのだろうか。
非常呼集はとつぜん解除された。
誤報だった。
湾岸監視員が、沖のほうで青白く光る夜光虫を敵艦隊と見誤ったのだった。
訓練開始後、間も無く終戦を迎えたため、この作戦が実戦に用いられることはなかったが、訓練中に多くの殉職者と行方不明者を出した。
終戦後、特攻隊に関する資料はすべて燃やされたため、その正確な数はわかっていない。
海底の強い潮流の中では、伏せるようにしないと立っていられなかったという。
彼らは「伏龍特攻隊」と呼ばれた。
80年前の夏、10代の少年たちは命をささげる覚悟で海に潜っていた。
2026年のいま、私は20代の女性で、死を覚悟して海辺に立つことはない。
人間ということ以外、共通点のない私たち。彼らの気持ちを私は知らない。
私にはわからない。
海底に訪れる少年たちは、海の生き物の目にどう映っていたのだろうか。
蛸がゴーグルに張りついたり、小魚の群れが興味津々で寄ってきたりしたという話がある。
2024年の夏、私は横須賀の海で、元隊員が綴った手記を頼りに写真を撮り、音を集めた。
そのときの私の視線は、彼らの視線よりも、ガラスのゴーグル越しに彼らの目を覗き込んでいた魚たちのまなざしに近かったように感じる。
人間は陸の生き物だ。
それなのに人びとは海に潜ってまで戦争をした。
海は、そのころと変わらない。
彼らが潜っていた海と、私が見ているのは同じ海。
海はすべてを見ていた。
過去はここにある。
未来もここにある。
波は沖から過去を運んできて、波打ち際で私に未来を見せる。